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羽鳥建築設計室まい・たびっくす

べんりなよのなか4

100年以上前のもう一人の天才建築家にアントニオガウディーがいますが

完成までに現時点で300年掛ると言われていた

サグラダファミリア(聖家族贖罪教会)がスペインバルセロナに建っています

わたしが学生だった30年前4本の教会正面の小塔のみ建設中でした

工事に携わる職人は石をテノミで掘れる彫刻家に限られており

積み上げる石一つ一つ丁寧に彫り上げて行く大変手間のかかる工事でした

最近のIT技術の普及でこの手間の掛る作業を取りやめ

工場で製作した機材を使って工期を150年短縮し2026年完成を目指すそうです

写真で見ますと初期の手作りの部分とその後の部分ではアンバランスな感じがします

観光名所として教会を完成させそこからの収益を第一にかんがえたのでしょうか?

行ってみたかった建築でしたがはっきり言って幻滅です

機能主義ー工業化による大量生産によってうみだされたものは

最終的に人間の心になにも残しません 

聖家族贖罪教会の贖罪とはこの様な便利さが生み出す人間の罪だとわたしは考えるのですが

工業生産花盛りのこの時代ガウディーがあえて手間の掛る昔ながらの工法で設計した意図が

ここにあると確信します 機能主義が生んだ天才建築家コルビジェも晩年になって

彫刻作品のようなロンシャンの教会を設計したのも彼の全盛期の活動に対する贖罪かもしれません。

 

べんりなよのなか3

建築のはなしでつづきますが

100年以上昔西洋で産業革命の影響によって

都市に人口が集中しだしました

当時都市で暮らす庶民のほとんどは

大変劣悪な環境での生活を余儀なくされました

都市計画家や建築家はその問題に取り組むべく

試行錯誤し安価な建築費で効率よく大量に

住宅を生産する手段を考えました

ル・コルビジェなど今でも語り継がれている

有名な建築家の考案した手法は

機能主義建築として確率されましたが

その手法が100年後の現在も営々と営まれています

今現在世界は当初の機能主義の目的からはずれ

経済効率のいい部分だけ取り込み

公共の目的ではなく利益追求のための手段として

利用しています。

つづきます。 

 

 

べんりなよのなか2

全国どこの街でも立派な道路がひかれ高層建築が立ち並んでいますが

立派な道路は目的地まで最短距離でしかも大量の自動車をさばきます

道路が大きくなれば成る程そこに建てられる建物も大きく高く出来ます

マンションも最近では60階もある高層マンションも出てきています

高層化の意味は狭い敷地にどれだけ住戸を詰められるか?につきますが

この傾向は日本では特に顕著です

経済至上主義の日本ではすべてが利益収益優先にかんがえられ

「人間にとって」という視点が無視されているようです

西洋近代化150年程の歴史しかありませんので

西洋のおいしいぶぶんをつまみ食いした格好でしょうか

経済システムとは上手に付き合わないとわたしたちの社会は荒廃します。

 

べんりなよのなか

コンビニは近所にも数件あり非常に重宝しています

日常生活で必要なものな大抵そろっていますから有難いものです

コンピューターの発達によりPOS SYSTEMが導入され

どんな商品が必要か常にリサーチして商品構成を決めているようです

いつものようにコンビニでコーヒーを飲みながら

来る人 来る人を観察していると2~3分で出たり入ったりすているのが分かります

商品を眺めたり見たりする必要がないのでしょうね

店のスタッフも応対が近年標準化されてきているようで

本社での研修教育が徹底されているようです

この便利さが日常の当り前の感覚となってきている様な気がします

この事はなにもコンビニだけに限りません

交通機関も定時に到着し目的地へもほぼ定時に着きます

社会そのものが高度に管理統制されている事の証ではないのでしょうか?

つづきます。

 

 

りそうとげんじつ

あれも欲しい これも買いたい えーいローン組んで買っちゃおう!

思わず衝動買いする事ってありますよね

毎月入ってくる収入は決まっているのにその時の勢いで動いてしまう

計画性がない 法律用語では射幸心とよばれていますが

閉塞感の漂う現実の社会にもまれていると

ついついロマンチックな感情に押し流されるのも人情だと思います

男性は所帯を持ってからでも 自分に対しても家族に対しても

なにか打ち込める趣味のようなものでロマンを追求する方が多くいらっしゃいます

その点女性は家庭を守り子供そだて家族の安定と生命体としての種の保存に執心します

男性よりもリアリストだと思います

利殖行為(お金儲け)も自身の欲求を満たす手段のお金に執着しますから

リアリストの範疇にはいると思います

夢だけでは生きて行けませんが 夢のない生活なんて生きていても無味乾燥ではないでしょうか?

要は、ロマンチストであると同時にリアリストであるということ

古代ギリシャの哲学者 アリストテレスがいう中庸(間をバランスよくとっていきなさい)だとおもいます

何事も程ほどにということでしょうか。

 

 


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