ネットのメールマガジンにおかしな映像をながしたサイトがありました
自転車にやぎを載せたおじさんが平然と道路を走る映像です
車からなにげなくビデオカメラを廻す女性の声が聞こえてきて
クスクスと笑っています
そのおじさん黒人男性でしたがまるで同僚を載せているように
やぎを後ろの荷台にすわらせています
やぎもやぎで回りの風景を楽しむように
体を左右にスイングさせながらバランスをとっていました
人間もやぎも心通えば同じ生き物同士ということでしょうか?
|
ゆかいなこうけいネットのメールマガジンにおかしな映像をながしたサイトがありました 自転車にやぎを載せたおじさんが平然と道路を走る映像です 車からなにげなくビデオカメラを廻す女性の声が聞こえてきて クスクスと笑っています そのおじさん黒人男性でしたがまるで同僚を載せているように やぎを後ろの荷台にすわらせています やぎもやぎで回りの風景を楽しむように 体を左右にスイングさせながらバランスをとっていました 人間もやぎも心通えば同じ生き物同士ということでしょうか? たいむましん43月で高速道度の無料期間が終了して 気軽に高速道路を使えなくなりました 車で高速を走らせるとエンジンの調子も良くなるんですが 音楽を聴かずエンジンのうなり声を聞いているだけで 気分がすぐれます 世界の経済情勢も複雑を極め 金融経済の失速を懸念する声が雑誌や新聞等で聞かれますが 現状でのイケイケ世界経済システムそのものが行き詰まっているようにも思えます ヨーロッパで花開いてアメリカで開花させた現在の経済システムは アメリカがまだGO-WESTだった時代のままの勢いでいます 西部開拓を盛んに行い都市や高速道路網が整備されたころは 日本に先行して自動車社会が到来していました ハイウェーは確かに快適です 行きたい目的地に最短でなんの苦労もせずとも行けるのですから 西部開拓が終了し西海岸まで来て こんどは海外に新天地を求めて行くのでしょうか 高速道路はエンドレスではなく終点が必ずあります インターチェンジを降り下道へ入りそして目的地が山間部の奥地だったなら 道は険しくなってきます 5速に入っていたシフトを3速 2速とおとし 気合をいれて走らなければなりません 山小屋が終点地だったならこんどは車をおりて徒歩でゆかなけらばならず ハイウェーモードではしり続けることは現実不可能なのです ただ視点を変えれば徒歩であるいてみたりすると 道の傍らに珍しい草花なんか咲いていたりして思わず感動することもあるでしょう 視点は変わりますが 日本人の生き方は十速飛びのハイウェーモードというよりも 普段の何気ないささやかな物に価値を見出し感動できる気質があるように思えます 世界経済が行き詰まっている現在日本人的な世界観が 存外これからのトレンドの風上に立っているのかも知れません。 たいむましん3最近 1930年代のアメリカJAZZを聴いているんですが DUKE ELLINGTON とか DIZZYGILLESPIEなんか特に好きで 夕食後とか一杯やりながらリラックスムードで楽しんでいます この頃のサウンドはトムとジェリーのアニメのバッグサウンドなんかで よくかかる音楽で子供のころから親しみあるサウンドなんです 当時の天才プロデューサー フレッドクインビーが最先端のサウンドを活用したいい例です クラシックとアフリカ黒人の土着の音楽を融合させた当時の試みでした 自分たちは何者であるのか 自問自答しながら試行錯誤を重ね 自己主張した結果生まれてきた音楽とも言えます 翻って今の世界情勢と日本 先行き不安な世の中で この国は荒波にもまれ その後どうなって行くのでしょうか 国の基幹産業(フラッグシップ)の企業も20年前の栄光は無くなりつつあります グローバリズム 国際化の大きなうねりの中で 日本と言う国家の存在が薄れてきているというのが実情でしょうか 市井に暮らす一般の人々は日々の暮らしで精いっぱいで こんな国の窮状などには関心が行き届いていないというのが現状だと思います 国境が接している大陸の国々では 長い歴史の中で 国境線が頻繁に変更させられ 親兄弟 民族が平気で分断されたりもしています この国(日本)にはすばらしい長所がたくさんあると思うのですが 感覚とか情念といった微妙なさじ加減でやりくりしてきた結果 日本文化とか日本について外国人に説明する努力を怠ってきた経緯がありました 外国人には 実は言葉によってでしか伝わらないし 理解もされないというのが現状のようです わたしたちの社会では理屈にはしると気まずくなるきらいがあるようですが もう少し理詰めで考えなければならない局面に立たされているような気がします。
たいむましん2こけこっこーのニワトリさんの第一声から一日が始まり 太陽が東の空から昇ってきます そしていつものように太陽は西の空へ沈みます 当たり前過ぎて普段ほとんど意識していませんが 世界はこの当たり前の繰り返しですね アナログ時計の文字盤だとすぐに気付きますが 60秒でひと回りするのが秒針 60分でひと回りするのが長針 12時間でひと回りするのが短針だと意識してみますと 各針のサイクルこそ違えども 毎日が同じ事の繰り返しなんです 今現在が午後の4時20分だとすれば 午後の5時20分は近い未来に当たります 3時20分だともう過去でしょうが 大きな地球の歴史、銀河系の歴史、大宇宙の歴史も 大きな時計に見立てれば 10年経っても、10億年経っても 4時20分という時間は同じで、永遠の現在とも言えないでしょうか? タイムマシンで過去に旅したとします 20年前の自分をそっと観察します この場面でこうしたら こうなるのになんて歯がゆい思いをしながらそっと観察します 時間旅行が可能だったなら過去を変え未来を創りかえる事だって 可能かもしれません そんな事が可能な暁には過去にもっともっと遡ればいいと考えるかもしれません そして行き着く先はどこになるのでしょうか? 究極の過去とは 究極のみらいであり 自分の未来を考えれば考えるほど自分の過去 祖先に行き着き 最後には現在の自分の後ろ姿をみていた なんてことになるかもしれません タイムマシンで過去にさかのぼった未来の子孫たちが 過去へ旅行して 原始生活をしている祖先にアドバイスしたとします なんも知らない祖先はそれを神と崇め祭るかもしれません 21世紀の今の時代ならばそんなイマジネーションも絵空事では なくなって来ている時代だとも言えると思います。 たいむましんひさかたぶりのブログになりますが 震災以降どうも体調が思わしくなく投稿をサボタージュしておりました あんな事も書きたい こんな事もあったなーなんておもいながらでしたが 突然フット湧き出した事なんですが 一昨年あたりだったか 名古屋大学の原子物理学研究所だったと思います ある原子同士を加速させてお互いをぶつけると 細かい粒子が発生するんだそうです 素粒子よりも小さな粒子なんだそうですが ニュートリノと言う粒子で理論上では光よりも早く飛ぶ物質のようなものです そのニュートリノが計測できたらしいのですが この物質をテクノロジーによって実用化された場合 光より早く移動できる乗り物が実現できると言うことです 最近までアインシュタインの特殊相対性理論が支持されていて 理論上は光よりも早い粒子は存在しないことになっていました さて、このニュートリノによるテクノロジーが完成した場合 時間を遡る事が可能な乗り物が出来るという事ですが 未来の地球人類がこのテクノロジーで現代の様子を窺いにくる なんて想像することもそんな浮いた話ではないのかもしれません。 |
|
ページ 1 / 11 |