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羽鳥建築設計室まい・たびっくす



まちのふうけい3


電子機器の発達で

公衆電話から携帯電話に変わり

電話機能を遥かに凌駕したスマートフォンが

今の時代の主役になっていますが

信号待ちでも歩きながらでもスマートフォンで話しながら

過ごしている風景は

歩くこと 人と対面すること 瞬間を楽しむ事など

一切無視して ただ画面に没頭しているようで

折角の人生の機会を捨ててしまっている

こんな風にも見えます

インターネット検索もできるし

サービス動画などもスマートフォンで楽しめるので 

若い世代は煩わしい人間関係から逃避も出来る

電脳空間(サイバースペース)に嵌るのも

仕方のないことなのかも知れません。 

 

まちのふうけい2


仙台は城下町と言う事を意識される方は

今現在では少数化なのでしょうか

商都というイメージが先行していて

嘗ての伊達の都(城下町)というイメージは

等の仙台市でも情報発信していないようです

城があって堀があって屋敷町があって

街道が一直線に通ってなく

そんな城下町の面影がほとんど残されていませんから

仕方ありませんね

広瀬側の上流にかつて山上清水という場所があり

バス停にも残っていたので市が

バス停も堀も今では残っておりません

市の中心部を南北に通る 細横丁 という

昔有名だった街の通りの 晩翠通りに改名され

昔の面影も無くなりました

非常に古風で奥ゆかしい街だったのですが

なんか寂しい気がします。 

  

  

 

まちのふうけい1


前日のブログで仙台の街の風景(都市景観)について

ちょっと触れてみましたが

今から40年ほど前(若い世代に方は想像すらしないでしょうけど)

仙台で一番高い高層ビルは

住友生命仙台ビルというビルで

地上18階高さ64mというこじんまりした建物でした

当時街の情報誌「仙台タウン情報」んは

この建物が誇らしげに紹介されていて

最上階には展望レストランなどもありました

出来た当初は混雑してレストランでコーヒーも飲めない状況でしたが

当時としては目新しいランドマーク的存在でもありました

仙台駅前は丁度駅本屋(駅ビル)が工事中で

その当時ペデストリアンデッキ(空中歩道)も工事されていたと記憶しています

それでも、昔からあるビルも沢山あって

非常にユニークな飲食店舗が駅周辺には沢山ありました

「この店に行ってこれを食べる」というたのしみが当時は多かったです

コーヒー専門店 スパゲッティー屋 サンドイッチショップ

当時流行のjazz fujonwをきかせてくれる喫茶店 中華料理店など

自分の足跡を付けてみたい個性的なお店がほんと沢山ありました

夜になると側道に屋台が出てきて気楽に一杯引っ掛けて行ける

とてもアットホームな街の風情でした。 

 

だんきうんてんただいましゅうりょう1


2年前の牡鹿半島の半島復興施設の飲食店舗7店舗を

終わらせ、仙台駅前の再開発事案の構想のたたき台をいろりろと

試行錯誤しておりました。

事業構想案のレポート作成まで1っか年はかかったでしょうか

その他、都市景観報告の為のイメージや

都市複合施設の全体ボリュームを算定する為の基本資料など

一般住宅とは大分勝手が違いまして

かなりの参考文献書籍を読み漁ったものでした。

住宅設計とは違い、随分と様々な業種、業界の方とも

お話しさせて頂きまして、

この構想が実現して行くまでに5年~10年はかかるだろうな

などと思って現在に至った次第です。 

 

ただいまあいどりんぐちゅう 17


しばらく、ブランクを空けておりました

事務所としての新体制をいろりろと考えておりまして

組織論やビジネスモデル構築論など

書店から書籍を買いあさって

次から次と読破の毎日です

コロナ禍のため、世界中が混迷で

ワークスタイルの将来像がなかなかイメージしずらい時代だと思います

昭和高度成長期生まれの自分の考え方でやって参りましたが

最近の若い世代の方々は思いも付かないような

発想法で世界に果敢に挑戦して居る様で

これからは、若い世代の人たちの力も借りなくては

新時代の荒波には対応出来ないなと

思った次第で御座います。 

 


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