建築家という呼ばれ方は
明治期以降わが国に入ってきた呼称
であると前に書きましたが
個人を際立たせるという考え方は
江戸期以前のわが国にはあまり見受けられません
千利休の茶室や小堀遠州、夢窓疎石の日本庭園のほか
個人の業績として現代にまで伝わった話は
見受けられません
法隆寺、桂離宮ほか多くの寺院仏閣など
棟梁の名前など歴史の教科書にも出てきません
現存する地方の古民家など
当時にしてみれば
相当なお金を掛けてつくられたものも
作者不明であることは言うまでもありません
浮世絵の東洲斎写楽も
個人名では無いという説もあります
浮世絵は 絵師 彫師 摺師と
高度に分業化されていて
一つのプロジェクトチームを編成させて
創られていたという話を聞きました
建築という物つくりの考え方も
江戸期以前ではこの様な考え方で
進められていたのかも知れません。