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羽鳥建築設計室業務日誌

建築家とうい仕事6

昨晩、奇妙な夢をみた

真夜中 満月の明るいフリースペースで

就寝につこうとうたた寝していたら

ある人によびだされて

館内を案内された

この建物どうやら自分が設計したらしく

なんでも企業の本社屋のようで

つくりが結構凝っている

それぞれのへやが独立しているのではなく

自由に行き来でき開放的なのだ

きみょうなエレベーターをのぼらされ

屋上に案内された

カフェテリアがあった

夜中の12時をすぎているのに社員たちが

ガラス拭きを一生懸命しているようだった

このたてもの自分が設計していることになっているので

社員ひとりひとりから感想を聞くことになった

この建物は空間構成に最大限配慮し

造形やデザインにはかなり詳細にまで凝って設計しています

雑な所もあるようですねともきかれた

もうひとりの女性の社員にこう尋ねました

ここは楽しい所ですかそれとも辛いですかと

その女性は 楽しいと返事して

夢はおわりました。

 

 

建築家という仕事5

先ほど、二百年住宅の耐震性を検証する実験が行われました。

設計基準に従い基礎を所定のボルトまたはアンカーでしっかり固定した実験住宅と

通常の施工に従ったいわばゆるゆるの基準の住宅の室内振動実験です。

結果はゆるゆる住宅が残り、しっかり固定の二百年仕様が倒壊したという結果に終わりました。

昔ながらの古民家のつくりは基礎を掘っ立て形式で固定せず、

時振動に揺れをうまく逃がすつくりになっていました。

いにしえの人たちも試行錯誤してこのような構造形式を考案したのだと思います。

二百年住宅は当然完成しておりません。

この様な安全性は一丁一旦でかいけつできるものではなと思います。

構造体を支える貫きが筋交いや構造用合板」に変わり、

伝統てきな工法がナイガシロにされてきてるように思います。

近代科学による構造計算だけでは解明しきれない部分も多くあるのが現状ですね。

 

建築家というしごと4

今年4月、政府の肝いりで長期優良住宅の促進支援策がこうじられました

以前は二百年住宅というネーミングだったと思いますが、

審査基準や検査がやたらと厳しく、設計監理業務が半端じゃなく煩雑になるみたいです

メリットは補助金が降りて来る事で、エンドユーザーには魅力に映るようです。

ただ、現在日本の総人口の50%~60%は建設業に何らかの形で関わってくると言われており

高性能、高品質、高価格な住宅を建てようとすれば、それを実行出来る技術者や職人の数は

自ずと限定されてきて、限られた人たちの間でしかメリットを享受出来ない仕組みになる可能性があります。

当然、設計されるその内容も規格化された標準的なプランとなり、

設計者の腕の振るう場面は限られてくるはずです。

そもそも二百年という数字はどこにその根拠を置いているのか不明確であるような気がします

タタミの生活から椅子の生活に切り替わったのが、高度成長期に入った初期

都市に人口が急速に集まりだして、住宅不足に悩んでいた当時

公団住宅が食寝分離を考案して世に出したプロトタイプの間取りがーLDKの住宅の原型です。

それから数十年東京郊外のTVドラマの舞台にもなったニュータウンで生田という住宅街がありますが、

当時は最先端のファッショナブルな郊外タウンでした。

現在では、当時のニュータウンの子供たちも巣立って行き、働き盛りだったパパママたちは定年を向かえ

子供のいない寂しい住宅街に変貌しています。

ライフステージという言葉が在りますが、二十代に生活のかたち、三十代の生活のかたち、~

と言ったように時間と共に生活のあり方が変化して行きます

最近の住宅ではそこの部分を意識した設計をしてる住宅もおおく見受けられますが、

こうした設計が出来るには住み手と作り手の徹底した共同作業が不可欠です

二百年後の住まわれ方なんて分かる人いないと思います。

イギリスの農村なんかで百年以上持つといわれる古い建物がいまでも機能しているのは

ひとつは、住まいに人の方が合わせた使い方を実践しているということ

もう一つは、日本と違って長い歴史の中で生活スタイルの変化を余儀なくされた経験がないと言う事

この事実か決定的です。歴史、文化、ライフスタイルいずれも変化が無いと言う事です。

社会変化のめまぐるしい日本社会での二百年住宅構想は無理やりにこしらえた仕組みのようにも思えます。

 

建築家というしごと3

私たち 建築技術者のはたす役割って言うのは

安全で安心な建築物を 提供するという

言ってみれば 上物をつくってサーどうぞといった職業かもしれませんが

いま 自宅の隣接地に結構まとまった土地があって

そこを 地域の人たちやこれから社会に巣立ってゆこうとする若者たちの

集い 交流の場としての建築的な設えが可能かどうか作中なんです

ビジネスとして割り切る考え方もあるでしょうが

社会やそれと関わってゆく人たちのコミュニティーデザイン能力とでも言うんでしょうか

そういったものがこれからの建築家には要求されてくるんだと思います

 

けんちくというしごと 2

 建築の原点というか出発点ていうことに関して
いろいろな方からご指摘を頂くのですが
住宅建築という部分に的を絞って考えますと
生活を守る、生命を守る、財産を守るなどなど
暮らしを継続させることが第一義であると言えます
ドームっいう言葉はdomest-domestic(家とか家族とか国内というニュアンスですか)
の語源だと思うんですが
守る、包むといった受容的な意味合いが強いと思います
建築と言う行為は女性的であると言われるゆえんはここにあるんでしょうか
翻って 神殿や大聖堂のような建築は
地球の重力に抗って ちから強くどこまでものびてゆきます
「地上に生きる全てとあらゆるものを支配せよ」
確か旧約聖書に載っている言葉だったと思うのですが 非常に男性的です
建築の定義を厳密に考えてゆくと女性的であるとばかりは言えない様な気がします
建築をビジネスの一手段ととらえる考え方もいいでしょうけど
生活を守ってゆくという視点から生活を創造するという視点へ
シフトさせてゆくことも大切なような気がします
建築的表現といいますのは
単に自己表現の機会と捕らえたり、
作品と称して自己満足するようなレベルとは一線を画します 
第一線で活躍されている建築家の方々の意識だと思います。
 


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