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まい コラム
羽鳥建築設計室まい・たびっくす

しんさいほうどう9

震災は現在進行形です

震災当初 沿岸部にあるあるビルが

津波で被災された方々を避難施設として

ビルに収容されたようです

ビルのオーナーは炊き出しまでして

避難民の方たちを助けられたようでしたが

今現在仙台市の郊外にあるホテルでも

無料で日帰り入浴を提供していました

従業員も総出で営業は休業状態でしたが

大変な込み合いでした

経営されてるかたならその痛みは御理解されるでしょうけど

休業状態でのこのサービスを考えると

大変な事だろうと思われます

自分の立場から出来ることなにかあるかな?

ささやかな一歩かもしれませんが

大切だと痛感しました。

 

しんさいほうどう8

今回の震災で一番苦労したのは

車のガソリンを確保することでした

地震がおきて3日は全く見通しが立たず

車にはタンクの半分があるだけで

非常時以外は自宅でじっと待機するしかないと

きめていました

買出し時の食料運搬や不慮の事故による

病院搬送など 車の活躍する場面のみに出動するという

按配です

電話で建物の応急判定以来もあったのですが

断らざるを得ない状況でした

4日~5日後ようやくスタンドでの配給が始まりましたが

24時間待ちの大行列を耐え忍ばなければならず

路上駐車もやむを得ない状況でした

仙台は車の移動で成り立ってる街ですから

こうゆう場合は致命的です

車を使わなくても成り立つコンパクトな社会を

実現させるための仕組みづくりも必要だと思います。

 

 

しんさいほうどう7

食料などは 米 麺類 野菜などは

手に入るようになりましたが

震災当初1週間ほどは 各自で調達するか

しなければなりませんでしたが

道路などの輸送機関が整備されてからは

物資がどんどんと運ばれてくるようになってきました

ただ、たまご 牛乳 ヨーグルトなどの乳製品は

いまだに入手困難な状態です

この様な規模の災害にそなえて

各家庭で10日分はなにもなくとも暮らせる備蓄が

必要だとも痛感しました

一般商店などとお付合いのある家庭などは

こんな時に優先的に食材などをもらえたようです

近くにはみやぎ生協がありましたが

食材が調達できたのは震災後3日めで

2時間待ちの長蛇の列を我慢しました

列をつくって並ぶのはこの際仕方ありません。

つづきます。

 

しんさいほうどう6

震災のもっともひどい沿岸地域を視察しました

ここの場所から20kmも離れていない

いつも生き抜きに行っている浜辺の漁港でした

映画のセットかな?なんて思える状態で

道路が途中で行き止まりなんです

住まいの部材がバラバラになってて

復興を考えること事態気が遠くなるようでした

たった一つの漁港ですらこうなのですから

250kmの沿岸ほとんどこういう状態を想像すると

命を落とされた方の数は

新聞などで報道されている数どころではないように

思えます。

つづきます。

 

しんさいほうどう5

食料について話します

まわりの人たちはほとんど備蓄をしていませんでした

その日 その日になにを食べるのか

食料を確保するので精一杯の状況でした

良心的なたこ焼き屋さんのまえに

何十人という長蛇の列をつくる程で

最低3日は買出しに出なくとも食べてゆける程度の食料は

確保すべきと思いました

始めに思いつくのがカップ麺などのインスタント食品ですが

粉類を調理できるとお好み焼きやすいとんなどで凌げます

わたしの所は以前から地震がくる という噂があったので

一週間ぶんの食料は確保しておりました

ただ、10日以上今回の震災では続いてますので

スーパーの前に今は並んで買出しに出ています。

つづきます

 

 


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