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羽鳥建築設計室まい・たびっくす



BSをみて


ゴールデンタイムちかくの番組だったんですが
オランダでは交通事故を無くすために
ある方策をこうじました
それは 一切の信号を無くしてしまうことで
そうすることによって道路交通法上の優先者を
特定しないことにしたそうなんです
そしたら 人が道路を横断しようとした時
意思表示すれば 車は速度を落として
道を譲ろうとするし 車が道を急ぐときは
そうしなくても良いと言った具合です
私たちの感覚からすれば考えられない事ですが
事故は激減したそうです
国全体としての実行は無理かもしれませんが
地域単位としてなら面白い試みかもしれませんね
 

BSをみて


たまにBS放送のNEWSなんかを覗き見するんですが
海外の報道を紹介する番組なんかがあるんです
その中で日本に渡航してくる外国人の話題がありまして
外務大臣がたぶん国内の治安を維持するために
必要と判断されたのでしょうか
「国内に滞在できる外国人の要件として日本語能力が
ある程度達成基準を満たしてること」などの基準を
定める方向で動いてるそうです
でも日本の治安を民族の純度で維持して行く事で守ろうとすることは
理解できますが 国際化の大きなうねりの中
この様な方向性は国際社会の中で孤立する危険性は大きいと思いますね
こんな大切な報道でさえ国内では扱わないのですら
一般国民には関心の無い話題なんでしょうか。
 

あーと を観る目


芸術は心だとか 芸術はハートだとか
芸術鑑賞する際に観たままに 感じたままに
作品をとらえなさいといった指導をされる先生がよくいるんですが
ピカソのゲルニカとかジャクソンポロックのアクションペインティング
なんかワットみせられても はっきり言って
子供の落書きの延長線上みたいな作品にしか
我々一般人には観えませんよね
でもなぜこの様な作品が高く評価されてきたのかよく考えてみると
絵画の歴史をたどってみると
ルネッサンス以前の絵画は字を読めない人たちにもその意図が
伝わるように主題 登場人物 構図なんかが決められていたし
ルネッサンス以降は絵書き手中心の視点からみた世界観を
遠近法 明暗法を駆使して表現されていました
近代に入ってセザンヌが立体的な表現方法をあみだしたし
モネが後に印象派と呼ばれる色彩点描画を始めました
ピカソやポロックが思いつきで感情にまかせるままに描いたのではなく
主題や構図 デッサン 色彩なと緻密に計算したうえで
最後に表現されたその形が名作となって形に表れたのだと思います
海外での評価は最終的な結果に対してというより
そこに至ったプロセスがどうなのかを基準としているんでしょうね
芸術を鑑賞するにはそれなりの下準備が必要だと言う事なんだと思います。
 

建築家という仕事


建築家になるためには 専門の各種学校や大学を
卒業することがまず第一に求められるのですが
日本では こういう学校がほとんど理数系なんですね
建物を設計するためには部材の物理的特性や科学的性質なんか
しらないといけないし 構造計算だって必須なのは理解できます
でも そこで暮らして行く一人ひとりの人間の心理とか
心の問題と深く関わってゆく生産活動な訳で
ただはこをつくればそれで済む問題ではないはずです
建築はものをつくる学問ではなく
人の心や人間関係をデザインする学問であるべきなのです
世間で本当に評価されてる日本の建築家たちは
学校を出てから人間に関わる文系的な領域の学問を
ほとんど独学で勉強しているのが今の現状ではないでしょうか
国の建築に対する認識も甘いような気がするのですが
みなさん いかかでしょうか。
 

ティーンエイジャー


うちの近くの中学校や高校の生徒たちはみなブレザースーツを制服として
着てますが ネクタイにブレザースツまではいいのですが
靴はスニーカーというのはどうも頂けません 高校生はYシャツを露出させて
スラム街のラップダンサーのようないでたちだしなんか見ていいて不愉快に
なってくるのは私だけでしょうか そもそも彼らには制服なんて
必要ないと思います なぜ制服を着せるようになったのか考えて見ると
生徒を躾けるというより 親や学校が監理しやすいようにするためだと
おもうんですね それから制服をつくる業者が儲けるというのも理由でしょうか
父が女子高校の教師をやっていた頃 その学校は私服でした
以前は制服だったのですが 生徒の自主性を尊重するということで
そうなったそうです 私服になった当初は親たちが懸念したとおり
学校はファッションショーさながらだったそうですが
少し立つと生徒たちは自分のスタイルをそれぞれ見つけ出し
派手に着飾るようなことはなくなったそうです
ティーンエイジャーの年頃はとにかく多感でエネルギーが有り余っている
年頃です そのエネルギーを外側から拘束するのではなく
自分たちで制御する術を見に付けさせるのも教育なのかななんて
考えます.
 


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