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しばしのあいだ2


中休み中ですが、仙台の名の由来について

元々千代(ちよ)と書いて仙台に改めたそうなんですが

千年栄える国を正宗公が託して付けたそうなんですね

宮城県は米所であることは皆さんご存知でしょうけど

もともと この土地は湿地が多い原野でした

北上川の流れを土木工事によって大きく変え

その河口に石巻の米ふなだしのための街をつくった

その石巻から仙台湾沿いに南の阿武隈川まで

堤山堀を運河として築いた

大変な土木工事をやってのけたんです

仙台藩の殖産工芸品が思い当たるだけで

仙台箪笥 仙台平(キメの細かい機織物)ぐらいしかおもいあたりませんが

仙台の街は米単品で潤っていました

江戸で消費する米の八割は仙台藩から出た米と言われ

仙台商人は米で大いに繁盛したようです

いままでは どうして文化的魅力に乏しい単調な経済システムで押し通したのか

財政力のある藩として 小京都と言われるような魅力を醸し出す

戦略を考えなかったのか 疑問でしたが

正宗公は戦国時代を生き抜いた武将で

千年の代を生きる 平和な世についてこう考えたのかもしれません

平時(平和な時代)が常に続くという保障はなく

乱世(有事ー戦の世)においても生き抜く道は

生存に直接関係する 食料を生産すること

三百年続いた江戸時代ではその心配はそれ程不要なのかも知れませんが

乱世を生き抜いた武将ならば 平時が続くことのほうが

不自然だと考えることは推測できるはずです

田畑の減反も時代の趨勢なのかも知れませんが

正宗公の深い思いがあるのかもしれませんね。

 

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