昨年のニュースでしたでしょうかナイアガラの滝に転落した女子大生の事故がありましたが
この様な事故がもし国内で起こった場合 管理する当局では
転落防止のための措置として防護柵を強化し張り巡らす対応をとると思います
ほとんどの方はこの措置を当然のこととして受け入れ納得するでしょうが
なぜ危険とわかっていてこの女の子が転落したのか 深い洞察をすることをしようとしません
ピサの斜塔でも転落する危険もあるのにイタリアでは防護柵を設置していませんが
ある日本人はなぜ柵を設置しないか現地の管理者に尋ねたそうです
管理者曰く「崖と分かっていて 落ちる人がいますか?」という回答だったそうです
人間として 動物としての 正常な本能が機能していれば
ナイアガラの参事の様な事は起こりえないと考えるのは至極当然でしょう
私たちの社会(特に日本)では身の安全すら 管理者に任せる(便利で楽ですから)習慣が身についてしまって
己自身で感じ 考える能力を退化させてしまったのでしょうか?
管理者に任せればそれは楽かもしれませんが その分自由に判断できる裁量権が制限されてしまします。